ヴェトナム・フエ9 帝廟・寺院めぐり



玉盞山(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 今回の旅行では、タクシー運ちゃんに行く場所をあらかじめ言っておいたのですが、大雑把な人だったので、ほとんど順番などはほとんど守られません。ただし一応はザーロン帝廟以外はすべて連れて行ってくれました。

 ホンチェン殿も予定に入っていたのですが、昌陵(ティエウチ帝廟)に向かう途中、突然「ホンチェン殿に行く」といって、昌陵(ティエウチ帝廟)近くの香江の岸辺で降ろされました。

 確かに対岸にホンチェン殿があるのですが、対岸にあって、しかも香江を渡る橋はかなり遠い場所にあるので、「これでは行ったことにならないのでは」と思っていました。運ちゃんが補足で「ボートに乗る」と言ったので、しばらく待ってみると一艘のボロい小舟がやってきました。


玉盞山へ向かうボート(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 運賃は5万ドンで、日本円にして250円ほど。最初櫂を持っていたので、「これでは永遠に到着しないのでは」と思っていましたが、もちろんそんなはずはなく、エンジンをかけて快速で香江をあっという間に渡りました。


玉盞山へ向かうボートから香江をみる(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



玉盞山へ向かうボート(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 ホンチェン殿は『大南一統志』などの史料では「玉盞山神祠」と称されています。もとはチャム人が祀るボー・ナガーという女神を祀っていたのですが、後に明命帝(位1820〜41)が私的に帰依するようになり、同慶帝(位1885〜88)が熱心に信仰して国家的信仰となりました。後に阮朝の皇族の末裔が天仙聖教(ティエンティテンタインザオ)という新興宗教をつくり、その聖地となりました。天仙聖教は1975年に禁教となりましたが、ドイ・モイ政策である程度緩和されたようです。


玉盞山神祠(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



玉盞山神祠(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



玉盞山神祠の焼却炉(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



玉盞山神祠の像(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)。「同慶年造」の造像銘がある。



玉盞山神祠の位牌(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 そういえば、何故かフエには犬が放し飼いにされていて、何かに近付くたび、不意に犬が跳び出してきてワンワン吼えるのです。

 ホンチェン殿の犬はぐっすりと寝ていましたが…。


玉盞山神祠の寝ている犬(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



玉盞山(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 再度舟で対岸に戻ってきて、次に昌陵(ティエウチ帝廟)へ行きました。

 昌陵は紹治帝(位1841〜48)の陵墓です。旅行ガイドブックなどでは風流を愛する皇帝で、しかも民のことを信頼して自分の陵墓に塀を造らなかったと書かれていて、『大南一統志』にも「神京二十景」を詩文に詠んだことが書かれています。そのため紹治帝のことをかなり好意的に思っていたのですが、阮朝王宮内の幾暇園にあるグロテスクな人工物を見てから、相当偏屈な人間ではと思うようになりました。実際、フランス人の報告書では、頑固な人物として観察されていたようです。


昌陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



昌陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



昌陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



昌陵の側面の門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 昌陵は修理中なので、本来ならば中に入れないのですが、たまたま横の入口が開いていたので、入ってみました。

 昌陵は陵寝制の陵墓なので、実際の墓である陵と、祭祀を行なう寝の二箇所が東西に並列しています。


昌陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



昌陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



昌陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 昌陵に行った後ちょうどお昼頃だったので、タクシーの運ちゃんに「おごるからお昼どこか連れて行って」と言ってみると、「オーケー」と言ってどこかへ出発しました。

 「ブンボーフエくらいかな?」と思っていたのですが、着いた場所が高そうな本格レストランで、しかも2人前のコース料理を勝手に頼まれ、しかも追加で単品を注文されたので、幾らになるのかとビクビクしていました。

 食べ終わって請求書をみてみると「480,000VND!!!」

 心臓が口から飛び出るのではないかと思ったくらいに驚きましたが、何のことはない、日本円で2,500円でした。


昌陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 次に御屏山(ヌーグイン)に行ってみました。ここにはマジンガーZのような巨像がありますが、誰の像なのかわかりません。

 御屏山はフエの正面南にある山なので、風水における案山に比定され、阮朝時代には帝陵がある山に次ぐ格がありました。かつてはフエ旧市街からみえたのですが、フエは現在人口70万の都市なので、高層建造物がジャマをしてみることができません。


御屏山の像(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



御屏山(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 御屏山のあと、運ちゃんに「チェア・バオ・クオック(報国寺)」に行きたいと言って連れて行って貰ったのが、写真下の「国恩寺」。面倒なのでそのまま国恩寺を見学して、報国寺には行きませんでした。

 ところで、「地球の歩き方」と並ぶ旅行ガイドブックの定番「ロンリー・プラネット」には報国寺のことを「国家寺院」と書いているのですが、ジエウデー国寺(妙諦寺)の項目に、「フエにある3つの国家寺院の一つ」と書いてあり、このままでは報国寺が3つの国家寺院の一つということになってしまいます。ところが『大南一統志』を見る限りでは、妙諦寺・天姥寺・覚皇寺がそれであって、報国寺ではないはずなのですが、何によったのかはわかりません。


国恩寺(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



国恩寺仏殿(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



国恩寺墓所(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 次に安陵(ズックドゥック帝廟)に行きました。育徳帝(位1883)の陵墓です。

 隆思殿の中央には育徳帝が祀られ、左右には子の成泰帝、孫の維新帝が祀られています。隆恩殿をみたあと、次の場所に行こうと思い、タクシーに乗る前に安陵の方向を振り返ってみたところ、遠くに華表柱がみえました。

 華表柱は陵墓などの前庭にある装飾柱なので、昌陵(ティエウチ帝廟)では、陵と寝が並列となっていたことを思いだし、「さっき見たのは“寝”であって、“陵”は別にあるのでは」と思って周囲に入口を探したのですが、全くわかりませんでした。


安陵付近(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



安陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



安陵隆思殿(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 諦めかけた時、現地の母子が隆思殿の奥を不思議そうな顔で見ていたので、そこをみてみると写真のような朽ち果てた門がありました。ここから入って畑の畔を横断してしばらくすると、安陵の陵がみえました。

 それまでフエの見聞・概略図・建物の大きさや間数・碑文を手帳に記録していたのですが、ここで手帳を紛失していまいました。 


安陵隆思殿奥の門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 こうして安陵の陵本体につきました。やはり放し飼いにされている犬にワンワン吠えられましたが…。


安陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



安陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



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