経塚(松尾坂)



松尾坂西山の峠南側(平成22年(2010)9月27日、管理人撮影)。ここから経塚へ向かう。

 松尾坂の経塚は、比叡山延暦寺西塔への連絡道である松尾坂の途中、西山の峠を登ったところにある経塚の跡です。

 松尾坂の起点・西塔橋から約2kmほど登ると西山の峠の頂上に到着します。その北側は石仏が並んでおり、そこから奥にいくと西塔南尾谷の墓地に行くことができますが、今回はその反対側、すなわち南側を行ってみましょう。


松尾坂から経塚への山道(平成22年(2010)9月27日、管理人撮影)

 やや急な坂を300mほど登ると経塚に到着します。


松尾坂から経塚への山道(平成22年(2010)9月27日、管理人撮影)



松尾坂から経塚への山道(平成22年(2010)9月27日、管理人撮影)



松尾坂から経塚への山道(平成22年(2010)9月27日、管理人撮影)

 経塚は経典を土中に埋納した塚のことで、平安時代中期から末法思想の流行とともに盛んに行なわれました。

 江戸時代の比叡山の地誌『山門名所旧跡記』には、「往古、諸大乗経を書写して供養しここに納む」(『山門名所旧跡記』巻第1、山門三塔名所名木名水名石旧跡記、西塔分、経塚)とあるため、古くから経塚であることは知られていたようです。

 西塔には他にいくつか経塚跡があります。相輪トウの後方にもかつて経塚があり、昭和8年(1933)に石材採取をしていた職人によって偶然掘り当てられましたが、そのまま破壊されて、現在では痕跡すら留めていません。この経塚には銅製の経筒と外筒用の土甕が掘り出されており、平安時代後期のものとみられています。

 また松尾坂にはこの経塚のほかにももう一基あり、良好な形跡を留めています。ほかに椿堂から西南の方角の山にかつて経塚があったようですが(『近江国輿地志略』巻之24、志賀郡第19、経塚)、現在ではその跡地すらわかっていません。

[参考文献]
・服部清道「四塔の経塚-叡山考古-」(『史迹と美術』325、1961年3月)


最終更新日:平成22年(2010)11月9日


経塚(平成22年(2010)9月27日、管理人撮影)



松尾坂の経塚跡(平成22年(2010)11月9日、管理人撮影)



相輪トウ後方の経塚跡(平成22年(2010)11月9日、管理人撮影)



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