長崎(その2)



崇福寺三門(竜宮門)(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)

 長崎2日目。早朝に崇福寺に行ってきました。崇福寺は寛永6年(1629)に建立された「長崎三福寺」の一つに数えられる黄檗寺院です。


崇福寺参道(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)

 崇福寺の建造物のうち、第一峰門と大雄宝殿は国宝に指定されています。また大浦天主堂も国宝に指定されているので、長崎市の中で国宝建造物が3件。これは熊本県の青井阿蘇神社の5件が国宝に指定されるまで、国宝建造物数では九州最多です。長崎市が原爆が落とされたことを鑑みれば、この指定数は驚くべきものがあり、原爆が落とされていなかったらいかほどばかりであったかと歎くばかりです。


崇福寺第一峰門(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。元禄8年(1695)の建築。国宝。

 崇福寺第一峰門の斗きょうは「三葉きょう」と呼ばれるもので、中国福建省で盛行した形式らしく、崇福寺が中国福建省の華僑によって建立されたことによって、中国本国の建築様式がそのままもたらされたものです。


崇福寺第一峰門前面庇の斗きょう(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



崇福寺第一峰門後面庇の斗きょう(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



崇福寺護法堂(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。享保16年(1731)建立。



崇福寺鐘鼓楼(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。享保13年(1728)建立。



崇福寺大釜(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)

 大雄宝殿は寛永12年(1635)建立されましたが、当初は単層だったらしく、天和元年(1681)に重層となりました。


崇福寺大雄宝殿(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。寛永12年(1635)建立。国宝。



崇福寺大雄宝殿(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



崇福寺大雄宝殿挿肘木(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



崇福寺飯ぽう(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



崇福寺媽姐堂(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。寛政6年(1794)建立。



崇福寺媽姐堂・開山堂(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



崇福寺伽藍(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)

 次に興福寺に向かいました。興福寺は寛永元年(1624)に建立された「長崎三福寺」の一つに数えられる日本最古の黄檗寺院です。


興福寺付近(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



興福寺三門(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。元禄3年(1690)再建。



興福寺大雄宝殿(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。明治16年(1883)再建。



興福寺大雄宝殿内部(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



興福寺境内の中島聖堂遺構大学門(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。正徳元年(1711)建立。昭和34年(1959)興福寺境内に移設。



興福寺飯ぽう(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



興福寺鐘鼓楼(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。享保15年(1730)再建。



興福寺境内の旧唐人屋敷門(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。天明4年(1784)頃建立。昭和35年(1960)興福寺境内に移設。



興福寺媽祖堂(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。寛文10年(1670)再建。



興福寺三江会所門(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。明治13年(1880)建立。



興福寺伽藍(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)

 興福寺を出て眼鏡橋に向かってみました。


中島川河畔よりみた光永寺(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)

 寛永11年(1634)に興福寺住持だった黙子如定(1597〜1657)によって架けられた日本最古の橋です。最古といっても、沖縄には琉球王国時代に架けられた天女橋(1502)が現存しており、さらに沖縄にあった世持橋はそれよりさらに古い橋でしたが、沖縄戦によって破壊されました。


眼鏡橋(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



眼鏡橋(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



天女橋(平成22年(2010)2月13日、管理人撮影)。参考までに。



沖縄戦破壊前の世持橋(田辺泰・巌谷不二雄『琉球建築』〈座右宝刊行会、1937年10月〉97頁より一部転載。本書はパブリック・ドメインとなっている)。参考までに。

 次に福済寺に行きました。福済寺は慶安2年(1649)創建の「長崎三福寺」に数えられる黄檗寺院で、戦前は建造物が国宝に指定されていましたが、原爆被災のため古い建物は一切残っていません。


福済寺遠景(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



福済寺三門(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



福済寺長崎観音(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)



福済寺本堂(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)

 最後に聖福寺に行きました。「長崎三福寺」といえば崇福寺・興福寺・福済寺ですが、これらよりやや遅れた延宝5年(1677)に建立された黄檗寺院である聖福寺は、前の三福寺とあわせて「長崎四福寺」と呼ばれています。

 最近大雄宝殿・天王殿・鐘楼・山門が国指定重要文化財に登録されて話題を呼びました。


聖福寺山門(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。元禄16年(1703)建立。

 聖福寺にある天王殿は四天王を祀る施設で、京都宇治の萬福寺にもあります。中国明代に盛行して、中国では日本でおなじみの楼門形式の三門にとって替わり、寺院の前門となりました。


聖福寺天王殿(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。宝永2年(1705)建立。



聖福寺鐘楼(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。享保元年(1716)建立。



聖福寺大雄宝殿(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)。正徳5年(1715)建立。



聖福寺大雄宝殿(平成27年(2015)2月14日、管理人撮影)

 ちなみに翌日に博多に出張に行ったので、早朝に同名の聖福寺に行ってきました。


聖福寺(博多)山門(平成27年(2015)2月15日、管理人撮影)



聖福寺(博多)大雄宝殿(平成27年(2015)2月15日、管理人撮影)

 ついでに承天寺。


承天寺(博多)仏殿(平成27年(2015)2月15日、管理人撮影)



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