壬生寺縁起 中

(279頁上段)
壬生寺縁起中
  目録
一本願僧都夢中に&M000499;羅陀山に至る事
二本願僧都六地藏の名號功徳感聽の事
三本願僧都示寂の事
四當寺中興圓覺上人の行迹并念佛舍の事
五當寺本尊に祈惡病平癒付百日詣の事
六飯飼平次本領安堵の事
七和州前吏俊平二千日詣豐饒を得る事
八平行政二銘の太刀を給はる事
九西國の御家人に文書給はる事
十龜王丸足の病愈る事


(279頁下段)
  第一本願僧都夢中に&M000499;羅陀山に至る事
大願大僧都快賢竹馬の幼年より鳩杖の頽齡に
およぶまで。柔和忍辱をもて心とし。慈悲喜
捨をもて行とす。しかのみならず止觀円成の
軒には五相成身の月千秋の光をかゞやかし。
瑜珈三密の場には六大四曼の花萬春の匂を散
ず。殊に地藏菩薩を信仰して十二時中御名を
唱へ。禮拜供養して暫くも悲願を忘れず。是
に依て異夢を感ずる事あまたたびにおよぶ。
中にもいとかたじけなきは。ある夜の夢に此
本願僧都をいざなひ給ひて&M000499;羅陀山にいたり
給ふ。抑此山は中天竺摩竭陀の正中に伽耶城
といへる都城有。それより南のかた十五里に
して此山あり。その高さ九百四十丈。ひろさ
七百二十丈なり。みな七寳を以て嚴飾せり。
&M000499;羅提樹おほくおひたう。常に黄なる雲有て
山上にたなびく。六道の衆生或は喜び或は歎
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く共に妄情よりなすわざなれば。其氣あつま
りて黄雲となる。此故に此山を黄雲山と名づ
くるなり。むかし釋迦大師此山にして一萬三
千の比丘衆。三萬六千の菩薩衆。其外一切の
諸天諸龍夜叉人非人等。又金銀銅鐵の四輪王
悉く來集して延命地藏經を説給ふ。其儀相を
見せんとて。つぶさにむかしの消息を見せし
め給ふ。覺ても猶彼淨土にある心ちして一一
の相儼然と目前にあり。僧都すなはち門弟
琳嚴法師に命じてもやうを繪にうつさしめ。末
世の人の信をすゝむる便りとなんし給へりけ
る。ある經の中に繪に書たるを見ても。ひと
たび三寳の境界を信すれば。有漏の業をつく
して無上の佛果を得ととけり。つらヽヽ思ふ
に。此山は閻魔提の中天竺のうちなれども。
十萬餘里をへだてたれば。たやすくいたる事
かたかるべし。もし今深心をもて此尊を信じ
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尊を拜し奉らんに。即心即土なれば。直に彼
山にいたりて尊顏を拜し奉るに異なる事なか
るべし。もし信なくは直にかの山にまうで侍
とも何のuかあらん。日月のあきらかに照し
給へども盲者は見ず。日月の咎にはあらざる
がごとし。

 第二本額僧都六地藏の名號功徳感聽の事
第七十世後冷泉院の御宇永承年中。本願大僧都
禪定に入給ふ時。夢ともうつゝともわかで
生身の地藏尊目前に來らせ給ひつげて宣く。
汝しらずや六地藏の名號をたつる事は是六道能化
の相に依てなり。第一檀陀地藏は地獄道
の能化なり。手に人頭幢をさゝげたり。檀陀
とは梵語。此には人頭と翻ぜり。&M021073;魔王宮に
人頭幢といへるものあり。罪人に對して忿怒
の相を現じ。口より鐵鎖を吐て罪人を縛り。
先世の罪業を白状せしむ。其時&M021073;魔王かの白
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状に任せ。其造惡の品によりて。八寒八熱等
の諸の地獄にいたらしむ。罪人自業自得の果
報をば思はず。たゞに人頭幢を恨む。菩薩是
を憐みて人頭幢をさゝげ舌をまき口をとぢて
彼白状をとゞめしむ。然れば淨頗梨の鏡も破
却し。&M012050;(校)量業の秤もくだきて。獄卒をしりぞ
け罪人を救ひ。苦を拔樂をあたふ。是檀陀地藏
の利uなり。第二寳珠地藏は餓鬼道の能化
なり。手に如意寳珠をもてり。凡此餓鬼道の
衆生は。先世慳貪の掛業によりて五百歳をふれ
ども飲食の名字をすち聞事なし。飢羸憧惶に
たへず。をのが脛をさいてくらひ。己が子を
くらふて飢をやすめんとすれども。暫くも休
歇することなし。此時もてる所の如意珠より
種々の飲食を出して忽ち飽足せしめ。終に此
道の苦をぬいて法喜禪悦の樂を與ること寳珠
地藏の利生也。第三寳印手地藏は畜生道の能
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化なり。凡畜生はとこしなへに殘害の苦にせ
めらる。かの金翅鳥は翼をのぶれは三百三十
六萬里なり。大海をあふぎほして日々に一千
の龍子をとりくらふ。父母の大龍是を欺き悲
しむ事理に過たり。難陀跋難陀の龍王大身を
現じて須彌山を七匝にとりまき尾をあげて山
をたゝけば須彌頂の鐵樹に巣ををかけて産み
をける金翅の卵ども悉くゆり落されて雨霞の
ごとし。其時大龍卵を呑に父母の金翅鳥歎き
悲しむ事相同じ。其外羽屬蟲魚。大は小を殘
害することやむ時なし。其時如意寳印の手を
のべて一切の畜類殘害の苦を拔。實相甘露の
法味をあたふ。是寳印手地藏の利生なり。第
四に持地地藏は修羅道の能化なり。夫修羅は
鬪諍を業とす。常に帝釋と戰ふに勝事を得ず。
凡鬪諍は人我高下をあらそふにもとづけり。
諸法平等と觀ずれば高下大小の差別なく。萬
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物一體と見れば人我貴高の心念をたつ。此所
に安住すれば大地を平ぐるがごとし。此義を
示して衆生を救ふ。是に依て持地地藏とは名
づくるなり。第五に除蓋障地藏は人造の能化
なり。蓋障無量なる中に五蓋をもて本とす。
五蓋は三毒に悼悔疑を加へて五蓋とす。九十
八使の煩惱も是を本とす。一切衆生をして此
蓋障を除かしめ人中の樂を與ふ。是除蓋障地藏
の利生なり。第六日光地藏は天道の能化な
り。凡天人は其快樂無量なりといへども。其
果報盡なんとすれば五衰の相忽ちに現じ。花
かづらしぼみ。身光も顯れず。終に壽命つき
ぬれば。地獄闇冥の中に入むとす。此時まさ
に慈光をもて照せば。地獄の異聞もたゞちに
晴て日輪の光にむかふがごとし。是日光地藏
の利uなり。其外經中に種々の利uを説り。
一一示すにいとまあらず。すべて地藏と名付
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る事は。經云。心無摧破故名地藏。悲願堅固
改名地藏。普生善根故名地藏。救苦廣大故名
地藏。其名號功徳を窮むとして百千刧を經と
もつくすことあたはじ。さればその極妙の位
をいへば。彌陀善逝妙覺圓滿の至尊たり。正
に大悲を發して六趣沈淪の衆生の爲に潦倒た
る聲聞の形を現ずと。僧都かくのごとき甚深
の妙義を示し給ふを聞こと。いと有がたくた
うとくて。やがて筆を取て記し置給ふ。

  第三本願大僧都示寂の事
本願大僧都一生の行業事終て。第七十世
後冷泉院の御宇永承六年辛卯十一月十六日夜半に
滅をとり給ふ。元來顯密練行の功つもり。聲
名を六合に播して。其勸化に預る者幾千萬と
いふ數をしらず。幼年より地藏尊を信じ今終
焉の期にいたりてはことさらに信仰をます。
しかのみならず今はとなりては西壁に彌陀如
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來觀音勢至の三尊を安置し奉り。左右には數
輩の弟子比丘比丘尼優婆塞優婆夷。其外在家
の男女つどひて戀慕渇仰する事雙林入滅の時
節にことならず。瑞雲空にたなびき。音樂の
聲亮々として耳にそびえたり。僧都一期の同
地藏尊の像を彫刻し。或は圖畫し禮拜供養し
て。自行化他の誓願をなし給へる故にや。地
藏の尊體大小のかたちを現じ。迎接し給ふこ
と其數をしらず。かくて滅後の遺誡ねんごろ
に開示し。禪床に坐してねぶれるがごとくに
て終をとり給ふ。はかり知ぬ三密の壇前には
とこしなへに心月圓明の相を觀じ。今八葉の
蓮臺にはたゞちに大日遍照の覺位を證し給ふ
らんといとョもしくこそ覺え侍れ。上來はた
だ僧都平常の行迹終焉の消息其梗概を記すの
み。其後相繼で蓮華房廣嚴。蓮聞房勝嚴。
蓮空房覺俊。甲斐法橋覺玄。大進阿闍梨興玄。
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玄覺坊□□。正音房阿闍梨永賢。若狹阿闍梨
行實。少輔阿闍梨觀毫。備中法橋聖慶。
上野阿闍梨覺慶。土佐阿闍梨尊珍。かくのごとき
の大徳展轉相續して住職をなし。寳祚の長久
武運の無窮を祈り奉る。

  第四當寺中興圓覺上人の行迹并念佛會事
當寺中興圓覺上人。字は道御。和州服部の産
父は大鳥氏廣元といふ。春日大明神に祈って
まふけたり。十五歳にして出家し。東大寺戒壇
において沙彌戒を受。十八歳にして招提寺
の戒壇に登り證玄和尚に隨て具足戒をうく。
其後諸方を&M010174;歴して顯密の教法各其薀奧をき
はむといへども。利物度生の善巧方便。兼て
は又おさなくて別れし父の證菩提の爲。又は
生て別れし母の再会を祈らんが爲に。法隆寺
の夢殿に詣で聖徳太子に此旨を祈り奉れば。
太子あはれみおもほしけるにや。小童に託し
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て告て宣く。汝が所願を遂むと思はヾ。名利
を捨聚落に入。道俗男女をすゝめて融通念佛
を弘むべし。融通とは己が念佛をもては他の
念佛となし。他の念佛をもては己が念佛とな
す。されば一念即無量にして其功徳深廣なり
と。詳に念佛の妙理を示し給へば。上人歡喜
感歎して洛西雙丘法金剛院。其外南北二京の
間に凡四十八箇所の道場をかまへ融通念佛を
ひろむ。夷洛の貴賤道俗宗風をしたひ。むら
がり集りて念佛を受持する者幾千萬といふ數
をしらず。其徒衆十萬に滿ぬれば爲に供養を
なせり。故に時の人十萬上人となんいへりけ
る。されば其徳風天下に彌淪し侍れば。
後宇多院叡感のあまり特に圓覺上人の號を賜ふ。
上人常に生て別れし母を慕ひ愛宕山に詣でて
再念を祈る。ある時嵯峨の清凉寺において往
來の道俗男女を集めてかの念佛をすゝむ。其
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中にあやしげなる僧有て告ていはく。汝母に
あはん事を思はゞ播州に至るべしといひ終て
見えず。つらヽヽ思ふに。愛宕山に祈りしか
ひ有て地藏菩薩の示現し給へるにこそと。や
がて播州にゆく。印南野のあたりをすぐとて
雨にあひて晴間待ほど一樹の陰にたゝずむ。
かたはらを見給へば盲たる老女あり。あやし
みていかなる人にやと尋ねよりこしかたの事
などを語り給ふに。符節を合せたるがごとく
親子紛れなければ。古郷にいざなひ歸り孝養
いとねむごろにぞし給ひける。されども兩眼
しゐたるを悲しみなげきて觀世音に祈り給へ
ば。忽ち兩限あきらかに成侍りける。是ひと
へに上人至孝の心ざし菩薩の本誓にかなひ。
徳行の精密なる神明佛陀も感應し給へるなる
べし。かくて上人和州招提寺に住し。開山
鑑眞律師の遺風を昔にかへし。又は當寺に來り
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て&M016752;(毘)尼の教において人法共に衰廢せるをうれ
へて律幢を起し。傍には融通念佛をすゝむ。
これによつて本願大僧都在世にことならず。
寺門繁榮し侍れば。當寺中興となん仰ぎたう
とみける。凡在世の間化導する所の四部の弟
子七十四萬餘人なり。九十四世花園院の御宇
應長元年辛亥九月廿九日雙丘法金剛院にして
入滅。壽八十九。僧臘七十二歳。行迹本傳に
詳なればこゝに記さず。抑當寺において毎年
執行する所の大念佛の會式は圓覺上人より權
輿せり。三月十四日より廿四日に至て今に及
んで斷絶する事なし。又村民野翁念佛の間に
交へて散樂やうの戲をなし。あるは猿のかた
ちにて堂前につなを縱横に張てつたひまとひ
顛倒して樣々に遊戲す。まことの猿の深山幽
谷の梢にのぼり蘿葛をはひまとふ事の自由を
得るにいさゝかたがはず。希有なるみものな
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り。是に依て貴賤老少群集をなす。允に狂言
綺語も讃佛衆の因縁となるべければ。兒女愚
蒙をみちぴかん方便にやとぞ覺え侍る。上人
母に逢給ふスび心にあふれて。念佛の中みだ
の言をなす。其遺風今猶殘って念佛の結衆も
さなんとなへ侍りけるとぞ。

  第五當寺本尊に祈り惡病をまぬかるゝ事
第七十六世近衞院の御宇天養元年二條院御誕
生。御願はたしの爲に勅をくだして一七日の
間本尊地藏菩薩を開帳せさせ給ふ。都鄙遠近
道俗貴賤雲の如くあつまりて詣拜し奉る。中
にある男の宿業にや有けん癩病を煩ひて。人
にもまじはらず年月をなん送りける。病苦は
いづれをろかならねど。かゝる病は宿世に大
乘の御法を誹謗せし果報ときけば。今生のみ
ならず來世も必惡道に墮在せん事よと歎き悲
しみながら。さりとも今壬生の地藏菩薩の開
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帳にて諸人結縁し奉る事希有なる幸あへり。
むかしより今の世にいたるまで樣々靈應に預
る事いといちじるしければ。忍びまふでて祈
り奉らんとて。坊城の辻なる石佛の堂より
百日詣をなんし侍りける。堅固の信心を憐みみ
そなはし給へるにや。目を逐て健に成て百日
滿ぬる比はあとかたなく平腹し侍りけるぞい
と有がたき。それより人聞傳へて百度まふで
は此石佛よりすれば靈驗ありとて。皆さなむ
し侍るとぞ。

  第六飯飼平次本願安堵の事
第八十世高倉院の御宇治承の比。東国に飯飼
平次といふ者有けり。いかなる科有けるにや
六波羅にめしのぼせて相傳の所領を沒收せら
る。平次歎きうれへて樣々斷り侍れどもかな
はず。せんかたなさに思ふやう。此上は佛神
の御たすけならでは安堵すべきやうなしとて
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此寺の地藏の靈驗他にことなるを仰ぎたうと
みて。霜月ことに雪ふかく降積れるにかちは
だしにて三日の間に百度まふでをなんし侍り
ける。御前の板敷に敷皮しきて度毎に五體を
地になげ三拜し丹心を抽でて祈り侍りける。
やうやく百度の參詣成就して御堂に休み臥た
りける夜。夢中にやごとなき僧壹人來りて。
いたくな歎きそ御はからひあらんするぞと宣
ふと見て夢覺ぬ。有がたく覺えて。ますヽヽ
信心をこらして本尊の靈應を臨み奉る程に。
六波羅よりめされて本領安堵の御教書を給り
本國に下るべきに成ぬれば。先此寺へまふで
てさまヾヽの供養をのべて報謝し奉りける。
歸國の夜毎年人夫を出したてゝ佛餉の用途を
參らせけることおこたらず。然れども我一期
こそか樣に供養し奉るとも。末の世に子孫の
心さじたゆみておこたることもやとて。西九
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條の邊に庄田そこばくを買て永代佛餉の料と
なし侍りける。今にいたりて夏衆の供米に用
れども。その上分を以て佛餉にそなへ奉るこ
とになんなり侍りける。

  第七和州前吏俊平二千日詣豐饒を得事
第八十二世後鳥羽院の御宇建久年中に和州前
吏平朝臣俊平〔亦號三重左衞門。〕といふ人有。弱冠の比よ
り當寺の地藏尊を信じて常に歩をなんはこび
ける。有時大願を發し一千日通夜せんと誓ひ
て。風雨をいとはず寒暑をえらばず二世所求
悉不成者不取正覺の本誓をョみまふでける程
に。すでに一千夜にみちぬ。其夜の夢に御帳
の内より墨染の衣き給へる御僧の布袋をたづ
さへ持て出給ふが袋より白き米をとり出し通
夜しける人にあたへけり。俊平も給はらんと
思ひゐたれど給はらざれば。いかにして我を
もらし給へるにやと尋奉れば。僧宣ひけるは
(287頁下段)
今一千日まうでよ。汝にはことさらに大福を
あたへんと耳御帳の内へ入せ給ふ。夢さめて
俊平思ふやう。是宿世の業因によるにこそ。
本願經の文に吾觀業道衆生布施校量有輕有重
有一生受福又有十生乃至百生千生受福利とな
ん説給へれば。疑ふべきにあらず。遲速は有
ともョみは有と思い。告にまかせて又一千夜
の通夜をなんし侍りける。まさにみちぬる夜
の夢に又先の御僧御帳の内より出させ給ひて
白米の袋とおぼしきを俊平にたまふと見て夢
さめぬ。スびいさみ家に歸り。いかなる幸に
かとョみゐけるに。關東より尋らるべき子細
ありいそぎ下向すべしとて追立の軍使いざな
ひて下る。俊平案に相違して。さしも地藏菩薩
の告給へる利uはなくして。かゝる災難に
逢事いかなるすく世の業因にかと歎き悲しめ
どせんかたなくて。軍使にいざなはれて鎌倉
(288頁上段)
に下り着たれば。樣々評議有て誅伐せらるべ
きに極りぬ。其夜右大將ョ朝卿の夢に墨染の
衣着給へる御僧の錫杖を携へ枕上に立仰ける
は。京よりめしくだし給へる俊平は年ごろの
檀越になん侍る。罪を宥許してたべと宣ふ。
右大將家夢さめて思ひ給ふやう。かく罪科决
斷の事ながら。かばかりの夢想を蒙る事いか
さまにかと思ひわづらひ給へる所に。次の夜
の夢に又おなじ僧の來り給ひて先の夜申せる
俊平をゆるし給はらぬにやと高聲に宣へば。
右大將家いづくより來りいかなる御僧にてか
くは宣ふぞと尋給へば。我都壬生のあたり
にすむ法師なり。其男に尋給へと宣ひて歸り
給ふと見て夢覺ぬ。翌朝俊平を召出して有し
夢のやうを尋給へば。我本より武勇の家に生
れてさして三寳歸依のこゝろざしも候はず。
取分たる善根をなす事もなし。父親より地藏
(288頁下段)
菩薩を信仰し奉りぬれば。我も又幼少より今
世後世ひとへに此尊の悲願をョみ奉れり。中
にも壬生の地藏は靈驗他に異なれば。此ころ
二千夜の通夜をつとめて二世の悉地を祈り侍
る所に。利生はなくしてかゝる無實の讒言を
蒙り。是までめし下さるゝ上は前世の業因に
こそと思ひ定め候へば。今はたゞ後生善所と
ねがふより外の念なく候と云ければ。右大將家
をはじめ列坐伺候の武士希有のおもひをな
して。かほどまで菩薩の依怙と成給ふうへは
讒言のなす所にあらん。たとひ又實に咎あり
とも。無下に罪におとし入べきかはとて宥め
ゆるし給ふのみならず。本領豐後國三重の庄
其外所領安堵の御教書をくだしたびて。佐渡守
に任じ。馬鞍武具等を給はりて都に上り侍
りける。京鎌倉見聞の諸人。薩&M005190;の誓約空し
からざることを深く信じて。いよヽヽあふぎ
(289頁上段)
たうとみける。其後家門ことに繁榮し爲財充
滿しければ。御堂を建立し大法會を執行ひて
諸人の値遇結縁をぞなし侍りける。

  第八平行政二銘の太刀を給はる事
第八十三世土御門院の御宇元久二年。右大將
源ョ朝卿平家追討の後。平氏の一族類をさがし
出し悉く誅伐せらる。其中に惟盛卿の末子に
千代松丸とて有しが。比叡山無動寺に隱れ住
給へるを。ことに嫡孫なれば北條四郎時政か
らめとつて六波羅に召上せて對面しけるが。
思ふ子細ありとて鎌倉に訴へ養子とし名を
行政と改めてたすけをく。其後叡山東坂本に
合戰あり。行政を大將として發向せしむるに忽
ち勝利を得たり。こゝにいづくともしらず
法師一人來つて二振の太刀を行政にあたへて云
く。是は平家重代の太刀なり。比叡を所持す
る者は凶敵自亡びてしかも國家の長となる
(289頁下段)
威徳劔なり。今汝に傳へあたふるなりとて行方
しらずうせぬ。其後此法師有夜夢中に現じて
告ていはく。我は是地藏菩薩なり。汝が先祖
我を信仰し。在々所々に堂舍を建立して我形
像を安置す。此功徳を感じて傳ふるものなり
と宣ふ。夢さめてその御かたちを圖晝して建
立の所々六地藏その外こゝかしこの靈場をか
んがへ尋る中に。壬生寺に詣でて御帳のひま
より拜し奉るに。夢中の御かたちにいさゝか
たがふ事なし。奇異の思びをなし。渇仰肝に
銘じて信敬供養し奉ることなをざりならず。
此太刀をもで第一の家寳となんし侍りける。
抑此太刀の來由を明すに。第七十六世近衞院
の御宇久壽二年乙亥八月朔日より。何某の
鍛冶二人百日の間潔齋精進して伊勢太神宮に參
籠し。兩宮を勸請して此二振の太刀を打たつ
るところなり。其後後白河院の御劔と成て。
(290頁上段)
一振を治世と名づけ。一振を誠劔と名づく。
後白河院より二條院に傳へさせ給ふ。後鳥羽院
の御宇壽永年中宮中鳴動して此太刀飛行し
雲中に入。たつみの方にとび去て伊勢太神宮
の寳殿に入といへり。つらヽヽ思ふに。地藏
菩薩不思議解脱の妙用ましヽヽて。種々の身
を現じ衆生を度し給ふのみならず。或は大地
或は山王或は大海の身を現じ給ふと説れば。
此寳劔と化して治世安民の利uをほどこし給
ふにや。おぼろけの事にはあらざるべし。

  第九西國の御家人文書を給はる事
第八十五世後堀河院の御宇貞永年中。西國の
御家人某といへる者。親にをくれて後所領を
傳へ持たりけるに。文書をば舅なる者に奪ひ
とられて所領も押領せられ侍りければ。都に
上り六波羅に訴へけれども事ゆかず。今はた
だ佛神をョみ侍らんにはしかじとて。殊に此
(290頁下段)
寺の地藏菩薩の靈應他にことなるをョ奉り。
やがて百日詣をして。ひたすらに祈り奉りけ
る。折しも當寺に千日講とて法會説法有けれ
ば。彼舅なりける男在京しつゝ結縁の爲に詣
でゝ説法を聽聞して。かへさに此文書の入た
る袋を忘れて。御前の唐櫃の上にをきて歸り
ぬ。參詣の諸人は見つけざりけるにや。遙に
程をへて甥の百日詣しける者是を見つけあや
しみ開き見れば。親より傳へたる文書なり。
是ひとへに本尊の利生なりと有がたくかたじ
けなくよろこびいさみて六波羅にまいり。あ
りのまゝに訴へければ。舅が不義を沙汰し。
甥は所領安堵し侍りける。信力堅強なればか
かる利生を蒙りけるよときく人感じあへりけ
る。

  第十龜王丸足の病愈る事
第八十六世四條院の御宇嘉禎年中。五條坊門
(291頁上段)
堀川の邊に龜王丸と云者有けり。十四五歳の
比より足に腫ありて穴あき膿血たり。痛み苦
しみて腰もたゝず。京田舍いたらぬくまなく
療治さまヾヽにして侍れどもしるなし。我身
ながらもけがらはしければ。人にまじはる事
をもはゞかりて明し暮しけるが。つくヾヽと
思ふに。今ははや人力の及ぶ所ならねば。佛
の力をョみ奉るよう外はあらじ。此寺の本尊
は靈驗あらたなれば新奉らひと思へど。腰も
たゝざれば詣む事もかなはず。居ながら心念
を凝して祈りければ。有夜の夢に朝日にむか
ひてかのうみつえたる所あたゝむるに。心ち
はなはだよく覺えたるを。一人の僧來つてひ
さくに煎物を汲てそゝぎ給へば。ますヽヽ心
よくて。誰ならんと尋ね奉れば。我は壬生の
あたりより來れる法師なりと宣ふ。いと有が
たくたうとくて。聲をあげてスびなきに泣く
(291頁下段)
に。みづから夢さめぬ。隣家の者ども驚きて
いかなる事にかと訪ひくれば。しかヾヽと語
る。其後膿血おびたゝしく出て腫もいゑ。す
がすがしく成りて。むかしより無病の身とな
り。家も榮へてよろづ心にかなふやうにぞ成
にける。





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