函館の建築散歩4 落ち穂拾い


 函館国際ホテルに宿泊しました。函館港には記念船「摩周丸」が繋留されています。遠くには海上自衛隊の護衛艦も停泊しています。


摩周丸(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)



停泊している護衛艦(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)

 函館国際ホテルの近く、豊川町の明治館に行きました。明治館は明治44年(1911)に建造された函館郵便局の建物です。函館における郵便局は明治5年(1872)に開拓使郵便局が開設されたのが始まりで、明治40年(1907)の大火で焼失、豊川町にて再建工事が行われましたが、もとは地盤が悪い湿地であったため、基礎工事のため千二百本の木杭を打ち込み、地盤を2m掘り下げて古い煉瓦やコンクリートを埋め込んだといいます。

 内部は煉瓦壁が露出しており、天井はガラス張りの天窓となり、その下に梁が廻らされています。


旧函館郵便局(明治館)(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)



旧函館郵便局(明治館)(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)

 明治館を訪れた後、チンチン電車ではこだて自由市場に向かいました。

 はこだて自由市場は、観光客向けの朝市とは対照的に地元の人達が利用する市場で、料亭などもこの市場を利用しています。お土産の荒巻鮭を購入し、発送して貰いました。


はこだて自由市場(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)

 はこだて自由市場の近く、大森町にある大火遭難記念慰霊堂です。昭和9年(1934)の大火の際、火災から逃れようとして多くの市民が大森町の川に飛び込み、犠牲者を出しました。その付近に慰霊堂の建立が計画され、函館市建築課課長小南武一を中心に設計され、昭和13年(1938)9月に完成しました。

 鉄骨鉄筋コンクリート造で、瓦葺入母屋造妻入で、唐破風の向拝をもつ寺院風の建築です。洞爺丸台風の際、遭難犠牲者の遺体がここの広場に並べられて安置されており、当時小学生だった叔父(母の兄)が見に行ったそうです。


大火遭難記念慰霊堂(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)

 函館大火は学校建築にも影響をみせ、昭和13年(1938)に完成した弥生小学校はその代表格として知られていました。平面はコ字形しており、中央にグラウンドを配置して、避難所としての役割が期待されていました。建物の角は曲面となっており、美しい学校建築でしたが、近年多くの反対を押し切って解体され、建物が以前と同じ形で再建されました。

 母の通っていた大森小学校は廃校となっているので、現存しているだけマシなのかもしれませんが…。


弥生小学校(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)

 法事のため親族と合流して、東本願寺函館別院船見支院に向かいました。外祖父の三回忌法会は船見支院で行われました。母の実家は真宗大谷派で、葬儀は函館別院(東本願寺)で執り行われましたが、本当の菩提寺はここなのだそうです。

 船見支院は函館別院の墓地管理のため明治37年(1904)に創建され、現在の建物は大正15年(1926)に鉄筋コンクリートで建造されました。


東本願寺函館別院船見支院(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)

 船見支院の墓地から道路に出ると、旧ロシア領事館がみえます。リヒャルト・ゼールの設計により明治41年(1908)に完成しました。赤煉瓦の外観と白い漆喰の縦横の縁取が印象的な建物で、トタン葺とあいまって一見無骨な外観ですが、当初は瓦葺で、正面には唐破風を設けるなど、和風の意匠を採りいれていました。

 後に函館市立道南青年の家となりました。私が幼い頃、剣道の先生をしていた外祖父がここで催していた剣道合宿に妹とともに参加したことがあります。


旧ロシア領事館(旧函館市立道南青年の家)(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)

 最後に五島軒本店旧館に向かいました。五島軒は函館のみならず北海道を代表する老舗洋食屋で、創業は明治12年(1879)です。五島軒本店旧館は昭和9年(1934)に建造され、もとはホテルとして使われていました。シンプルかつ上品な外観と、装飾豊かな内部の対比が見事で、平成9年(1997)には函館市資料館とともに北海道最初の登録文化財に選ばれました。

 五島軒は母の実家と縁が深く、また外祖母がこよなく五島軒のフレンチを愛したため、外祖母の一周忌の際にも五島軒で食事会を行っています。今回は外祖父の三回忌ですが、今回も五島軒で食事会となりました。


旧五島軒ホテル(五島軒本店旧館)(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)

 帰路、車の中から港ヶ丘教会がみえました。港ヶ丘教会はもと日本基督教会函館相生教会の建物で昭和9年(1934)に完成しました。現在はウェディングチャペルに転用されています。


[参考文献]
・角幸博監修『函館の建築探訪』(北海道新聞社、1997年9月初版、2008年5月4刷)
・長尾充『函館と北海道の開拓都市(日本の美術475)』(至文堂、2005年)


旧日本基督教会函館相生教会(函館元町港ヶ丘教会)(平成24年(2012)12月1日、管理人撮影)



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