函館の建築散歩1 朝市・金森倉庫群



函館朝市(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 函館に行って来ました。

 函館は母の実家があり、先年亡くなった外祖父の三回忌の法事があったので、観光を兼ねて行ってきました。

 母の実家があるということもあり、小さな頃に何度も訪れていました。北海道の中でも有数の歴史があり、史跡が多いため私の好きな都市の一つでしたが、もともと安政元年(1854)の開港以来、明治2年(1869)の箱館戦争を経て、近代都市として明治・大正・昭和初期の建築物が多く現存し、異なる建築様式の中で調和のとれた景観を有しています。明治40年(1907)と昭和9年(1934)の大火をはじめとして、大小25の大火に見舞われてきましたが、そのたびに復興を遂げてきました。

 最近訪れることがなかったので、法事の前日から函館入りして、近代建築物を探訪してみました。

 まず関西国際空港から函館空港に降り立ち、バスで函館駅に向かいました。函館駅近くの函館国際ホテルが宿泊地で、朝の9時でチェックインには早かったので、まずは函館朝市に向かいました。


函館朝市(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 函館朝市は函館駅に近いということもあって人気の観光名所なのですが、観光客相手ということもあって若干(というよりかなり)値段が高く、地元の人はあまり行きません。スーパーなどで事足り得る上に、料亭などでははこだて自由市場で仕入れすることが多いようです。

 とりあえず定番の「函館三色丼」です。うに・イクラ・帆立が入っています。


函館朝市で食べた函館三色丼(平成24年(2012)11月30日、管理人配偶者撮影)

 食事後はチンチン電車で元町方面に向かいます。


函館のチンチン電車(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 末広町の「茶房旧茶屋亭」です。もとの名称は近藤商店で、明治末期に海産商の店舗として建てられたものです。外観は一階が和風、二階が洋風の和洋折衷となっています。

 港に近い商業地区では、明治から大正にかけて建てられた木造二階建の和洋折衷建築がいたるところに建てられており、近藤商店同様に縦長の上げ下げ窓と洋風下見板の外壁が特徴的となっています。


旧近藤商店(茶房旧茶屋亭)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 同じく末広町の古稀庵は明治42年(1909)に建てられた渡辺商店の店舗がもととなっています。渡辺商店は海産商で、能登半島から呼び寄せた大工によって、桧を贅沢に使った建物です。


旧渡辺商店(古稀庵)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 末広町の金森倉庫群です。現在は函館ヒストリープラザ、金森ホールとなっています。

 金森倉庫は明治42年(1909)に2代渡辺孝平によって建てられました。イギリス積みの煉瓦造平家建で、この地域が船場町といわれ、函館が東北・北海道随一の人口を誇った時代に建てられたものです。平成元年(1989)に歴風文化賞を受賞しています。


金森倉庫群(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 豊川町のBAYはこだては旧名称を日本郵船倉庫といい、明治45年(1912)に建てられました。フランス積みの煉瓦造平家建です。この地は安政5年(1858)頃に船匠の島野市郎治によって埋め立てられ、文久3年(1863)にブラキストン線で有名なブラキストン Thomas Wright Blakiston(1832〜91)が一部を借り、日本最初の蒸気力による機械製材所を建設しました。明治15年(1882)には三菱汽船が買い取り、堀割り工事と不燃倉庫群建設に取りかかり、明治18年(1885)に三菱汽船と共同運輸が合併して日本郵船となりました。

 日本郵船倉庫は金森倉庫群とともに赤煉瓦の港町函館を象徴する建物で、平成元年(1989)に歴風文化賞を受賞しています。


旧日本郵船倉庫(BAY函館)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 函館高田屋嘉兵衛資料館1号(左)と2号(右)です。もとはこの地に高田屋の船作事場(造船所)があり、その跡地に田中家によって明治36年(1903)にコンブ倉庫として1号が、大正12年(1923)に2号が建てられました。1号は石造平家建、2号は鉄筋コンクリート造平家建で、後に田中家の手を離れて現所蔵者の手に渡った時、その中に高田屋の資料も含まれており、昭和63年(1988)に高田屋嘉兵衛(1769〜1827)の記念館として開館しました。高田屋嘉兵衛は江戸時代後期の豪商で、ゴローニン事件の解決に尽力し、箱館の発展に尽くした人物で、護国神社坂に銅像が建てられています。なお函館高田屋嘉兵衛資料館は昭和62年(1987)に歴風文化賞を受賞しました。


旧田中家コンブ倉庫(函館高田屋嘉兵衛資料館)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 末広町のガラス工房のザ・グラススタジオイン函館です。旧名称を宝興業といい、明治43年(1910)に建てられた煉瓦造平家建の倉庫を転用したものです。隣接して和雑貨いろはが建っており、旧名称を轟工業といい、明治41年(1908)に建てられた木造2階建の建物です。


旧宝工業(ザ・グラススタジオイン函館)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



旧轟工業(和雑貨いろは)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 末広町の旧本久商店倉庫です。大正末期に建てられた青色の外壁をもつ煉瓦造の建物です。ここから少し行くと二十間坂通になります。


旧本久商店倉庫(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 旧本久商店倉庫付近の電柱です。日本最古の電柱で、コンクリート製です。函館の大火が多かったことから大正12年(1923)10月に函館水電会社(現北海道電力)によって建てられました。角錐形で底辺は47cm、上辺は19.5cm四方、高さ10mとなっています。現役の電柱ですが、かつては同型の電柱が建物をはさんで建てられており、「夫婦電柱」と呼ばれていました。


日本最古のコンクリート電柱(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 二十間坂の下に北斗ビルがあります。旧名称を目貫商店といい、大正10年(1921)に建てられました。昭和初期に婦人服を扱う洋服店(イツク洋品店)となり、戦後は北斗ホテルとして運営されました。昭和60年(1985)に改装され、化粧品店とブティックとして再利用されています。


二十間坂と旧目貫商店(北斗ビル)(平成24年(2012)11月30日、管理人配偶者撮影)

 二十間坂を登るとN家住宅がみえます。大正2年(1913)に建てられた木造2階建の住宅です。全体は和風様式で、左端に洋館の応接間をもつ和洋折衷の住宅で、フォーマルな部分を洋装とし、普段住まいを和風とした、大正時代に名士の間で流行した型式です。


N家住宅(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



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