丹波普門院火祭

 京都府南丹市日吉町字中世木小字牧山の普門院の火祭に行ってきました。

 南丹市日吉町は京都府の中部に位置する山間部で、普門院がある牧山はさらに奥まった地域となっています。牧山はかつては数百名の人口がいましたが、現在では11棟、十数人ほどの人口で、しかもいわゆる限界集落となっています。

 この火祭は愛宕信仰との関連も考えられる祭りとして知られていますが、限界集落であるため、祭り自体が消滅の危機に瀕しています。日吉町時代には火祭へ補助金が出ていたのですが、南丹市は京都市の宗教祭祀への支援金に対する考え方に準じたため、南丹市への併合後は補助金が出ず、ますます火祭の運営が苦しくなっています。


火祭における普門院堂内(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)

 普門院は桁行3間、梁間3間で、屋根は入母屋造、鉄板葺(もとは桧皮葺か)の堂があり、正面1間に向拝が張り出し、鰐口1口が懸けられています。

 建立年などはわかっていませんが、同寺所蔵の版木五部大乗経墨書識語(1422)・懸仏墨書銘(1445)に「神興寺」とあって、何らかの前身寺院があったようです。元文5年(1740)の『寺社類集』には「観音堂 三間四面」とあり、「補陀落山観音寺」と称されていますが、普門院は荒廃して跡のみが残るとしており、神興寺が普門院の後の姿で、普門院が廃絶後に什物を観音寺が引き継ぎ、さらに観音寺が名称を普門院としたようです。

 隣接して大山祇神社があります。勧請年は不明ですが、元文5年(1740)の『寺社類集』にはみえず、明治16年(1883)の『丹波国船井郡神社明細帳』にみえるので、この間頃と思われます。口碑では九州から300〜400年前に移住したY家が瀬戸内海の因島から大山祇神社のミタマをもってきたとことに由来されるといいます。Y家は明細帳などに檀家総代としてみえる有力家で、口碑の勧請年と推定される勧請年には齟齬がありますが、Y家の移住説話と口碑の勧請年が集合してしまったようです。実際に大山祇神社の石造階段台座銘に「天明二年(1782)/寅六月十六日」とあるので、勧請年は天明2年(1782)前後とみるべきでしょう。

 丹波では同族組織として「株」があり、祭りなどはこの株が中心となって運営されます。この株から宮座組織がくまれるのですが、肥後和男『宮座の研究』によると、火祭の宮座組織は「宮ノ当」といったそうです。



松明は高さ4mの中央の大松明の他に4種類があり、

A 1m程。木をくくっただけのもの。
B 竹に枝状に松明を複数本さしたもの。
C 竹棒の上に松明をさしたもの。
D 灯火台の上に薪をおいて火をともしたもの。

となっています。

 松明につけるシキビとは樒(しきみ)のことで、神前に使う榊に似た植物です。樒は京都近辺では「シキビ」と呼ばれていますが、仏前に供える植物です。かつては神前にも供えられたことがあったようですが、神前の榊、仏前の樒とは一応棲み分けがなされています。ただし神仏習合の影響からか、愛宕神社はシキビを用いており、普門院でもシキビを用いることから、普門院の火祭には愛宕信仰との関連性が指摘されています。

 祭礼の次第については『京都の文化財』5(京都府教育委員会、1987年)に詳述されているので、ここではざっとみていきます。



 まず19時30分頃に供物を仏壇手前(内陣)に捧げ、19時45分頃に普門院の堂内に集まり、全員外陣に着座。総代(背広姿)の鐘たたきにはじまり、真言を唱えます。総代(背広姿)が唱導して全員が斉唱します。この時は合掌するも数珠をもたない人が多く、その後、般若心経を斉唱します。

 19分50分頃に読経が終了すると、男性3人が内陣に入り、本尊(観世音菩薩)厨子前の灯明より松明に火を移し、3人がそれぞれ火のついた松明をもって、一緒に向拝まで降り、3人は松明を持って待ちかまえる6人に、2人づつ火をつけます。

 火をつける松明は上図の通りです。


普門院火祭。松明への点火(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)



普門院火祭。松明への点火(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)



普門院火祭。松明への点火(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)



普門院火祭。大松明(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)



普門院火祭。松明への点火(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)



普門院火祭(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)

 20時20分頃、松明に水をかけ始めて、火を消していきますが、しばらくすると「お千度」が行なわれます。

 「お千度」は一人の「ドウモト」が弁財天前の橋に腰をおろして座り、氏子に全部で1000本の棒を配るものです。棒には一定の名称はないようですが、「千度の箸」という呼ばれています。

 この「千度の箸」は絵馬舎の背後、大山祇神社手前の階段に坐っているもう一人のドウモトに手渡しします。

 20時40分に西瓜を配りますが、20時55分に大松明を引き倒し、ヨキ(手斧)で解体します。この時解体した木材・竹は一緒に燃やします。

 かつては絵馬舎付近で盆踊をしてましたが、人口減のため現在は行なわれていません。

 21時00分に拍手にて終了します。短いだけだけ火を点すいたって簡単な祭りで、盆踊が行なわれなくなったことでさらにそれに拍車をかけていますが、古風な祭りです。


普門院火祭。大松明を引き倒す(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)



普門院火祭。大松明を引き倒す(平成19年(2007)8月24日、管理人撮影)



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